一・二・三! 遠藤周作

一・二・三! (中公文庫)

一・二・三! (中公文庫)

受験に失敗し感傷に浸っていた二人の受験生、猪之助と順太郎は、奇妙な人物に出会う。
彼は自分のことを男爵と呼ばせ、世の中の正義を全うする三銃士を結成。
バーのママである万里子の依頼で、マレーの奥地に日本兵を探しに行くことになる。
遠藤周作の小説のテーマが軽い文体にふんだんに盛り込まれている。


電車の中でヤクザ者に絡まれる老人を社内の乗客はを皆見て無ぬフリをする。
猪之助はそのヤクザ者を退散させる。万里子は言う、
「ねえ、この男の乗客たち、さっきは手をこまねいてたんだわ。お爺さんが
あの不良たちにいじめられているときは、知らぬ顔をしていたんじゃなくって・・・」
「みんな、自分がツマらぬことに手を出したくないから、目をつぶったり、そらしていたのよ。
(中略)なぐられるのがこわいから、良心に蓋をしようと懸命だったのよ」
「よく見てちょうだい。これが日本人の眼よ。(中略)
ツマらぬことに手をだして、面倒を引き起こしたくないという眼よ。意気地の無い悲しい眼よ」


40年以上前の本なのに、
そこに登場する日本社会の問題と日本人像は今と驚くほど変わらない。


鼻持ちならない自称文化人、
欺瞞に満ちた世の中を憤るが、エネルギーを発散する方向を見つけられない若者、
過去としての戦争、漫然と進行していく平和。


人生の浪人時代を送る感受性に、世の中の不条理は過酷なほど強く響く。
物語全般に、遠藤周作の創作に度々登場する「浪人」という言葉と立場が
意味深い影を落とす。
こればかりは、味わったものしか分からない、人生のエアポケットのような感覚だ。
浪人は単純に、受験期に訪れる一時的な無帰属状態を表す言葉ではなく、
社会に出ても、会社という組織に帰属していても、時として感じる空虚さの総称のように思える。
いかなる時も人は浪人となる瞬間がある。

お調子者でいつも冗談ばかり言っている順太郎が胸から搾り出すように
この世の中はいったい何が本当で何が正しいんだ、どこに夢があるんだ。
と唱える姿が作者が若い頃に感じていただろう言葉と重なる。


遠藤周作ファンは読んで欲しい。