翌朝の山中湖

昨日の続き


翌朝は晴天に恵まれた。
前日の渓流釣りの後は山中湖にある友人の別荘にお世話になる。
別荘の片付けなど一通り済ませ、昼近くに別荘を出発する。
澄み渡った湖と空に富士山が泰然とした居住まいでそこにいた。

さて、どこへ行ったものか。
元々初日の渓流以外にこれといって目的は無かった。
前日の夜に寄った温泉で、山中湖畔に三島由紀夫文学館があることを知り、行きたいと思っていた。
それならば、と文学館に向かう。


手入れの行き届いた庭に瀟洒な洋館が建っていた。
入場料を払い館内に入ると、まず三島由紀夫の刊行した本の数々に迎えられる。
友人が装丁が現代のものと違うね
と私の横で言った。
現代の装丁とは違う、何が違うのかは分からないが、一目で古い本だと分かるような装丁。
正しい表現か地震が無いが、フォントもデザインもサイケデリックだった。


直筆の原稿を見入る。
三島由紀夫の原稿は原稿上での推敲の後が少なく綺麗な原稿だ、と何かの本で読んだことがあった。
その通りの直しの後の少ない原稿が並んでいた。
そして、何よりもその原稿を端整な文字が埋め尽くしていた。


原稿の時代をさかのぼり、15,6歳の頃の作文も並んでいた。
その頃の文字の上手さも、28歳の私のものより(当然だが)遥かに上手いものだった。
字面を追いすぎて、正直内容は思い出せない。
悪筆を恥じる。


三島由紀夫は色々なことをやっていた。
私と同い年の頃には作家として注目を浴び、世界一周旅行にも出ている。
その後ボディビルをはじめ、劇作家としても成功し、世界の文豪と呼ばれる。


写真や原稿、再現された書斎など沢山の由来する品を見ながらも、
人物像を捉えることが出来なかった。
どんなことを喜びとし、何をおかしがる人だったんだろう?
衝撃的ともいえる死の演出、不思議な人である。
http://www.mishimayukio.jp/